超人が超人であるために シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ

数々の危機を救ってきた“アベンジャーズ”が、国連の管理下に置かれることを巡り、激しく対立するアイアンマンとキャプテン・アメリカ。さらに、ウィーンで起こった壮絶なテロ事件の犯人として、キャプテン・アメリカの旧友バッキーが指名手配されたのを機に、アベンジャーズのメンバーは大きな決断を迫られる。過去を共にした無二の親友か、未来を共にする仲間たちとの友情か――ふたつの絆で揺れるキャプテン・アメリカがある決断をしたとき、世界を揺るがす“禁断の戦い(シビル・ウォー)”が幕を開ける。
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シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ
(Marvel's Captain America: Civil War - Trailer 2 - YouTube

●キャプテン・アメリカ/スティーブ・ロジャース(クリス・エバンス)

キャプテン・アメリカ(以下キャップ)が体現するのは、「アメリカそのものではなく、名誉やモラル、価値観といった世界共通のもの」と語ったクリス・エバンス。第2次世界大戦中、米陸軍の極秘実験「スーパーソルジャー計画」で超人兵士となった愛国者の青年は、悪の秘密組織ヒドラとの戦いで戦闘機ごと墜落。70年後の現代で、氷漬けの状態で発見され復活して以来「ずっと自分の居場所を探していて、アベンジャーズのなかにそれを見いだした」。倒したはずのヒドラが国際平和維持組織「S.H.I.E.L.D.(シールド)」を内部から崩壊させた事件で組織に対して不信感を抱いており、アベンジャーズの責務は自分たちで決めるべきと主張。そこへ旧友ウィンター・ソルジャーがテロ実行犯として指名手配され、「自分勝手とも取れる行動」に出るが、エバンスは「それは家族を大事にするというスティーブの本質から出てきた行動」と分析。「常に大義のために個人としての欲求を抑え戦っていたが、今回は自分の欲求を優先する。これまでとは違う面白い変化だと思う」と語っている。

●ウィンター・ソルジャー/バッキー・バーンズ(セバスチャン・スタン)

キャプテン・アメリカと「最後まで一緒だ」と誓い合った親友。大戦時の任務中に貨物列車から転落死したとされていたが、ヒドラにより暗殺者としてよみがえっていた。現代でキャップと再会し、洗脳で消されていたはずの記憶を取り戻し始める。キャップにとって「ウィンター・ソルジャーはこの世に残された最後の親友となる。責任を負わされる前の自分を思い出させてくれる存在だ」とエバンスは語り、アンソニー・ルッソ監督は、「ウィンター・ソルジャーの中のバッキーの心を動かすことができる」と一途に信じ続けていることが、「キャプテン・アメリカを特別な存在にしている」と解説する。
「シビル・ウォー」キャラクター解説 キャスト・監督が語るチーム・キャプテン・アメリカ : 映画ニュース - 映画.com

●アイアンマン/トニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr.)

大富豪の実業家にして天才発明家。皮肉屋で自己中心的だが、アベンジャーズへの思いは誰よりも強い。亡き父ハワードから引き継いだスターク社で製造した兵器が悪用されている現実を知り、自ら開発したパワードスーツを装着してアイアンマンとして世界平和のために戦い始めた。自身の研究から誕生した人工知能ウルトロンの暴走で一般市民に犠牲が出たことで自責の念に駆られ、アベンジャーズ存続の唯一の道は国連組織の管理下に身を置くことだと決意する。ロバート・ダウニー・Jr.は、「アイアンマンは人間的に欠陥のあるナルシストだが、これまでの映画を通じて、(良心や責任感に)目覚め、ちょっとずついい人間になっている」と8年間の変化を語る。
「シビル・ウォー」キャラクター解説 キャスト・監督が語るチーム・アイアンマン : 映画ニュース - 映画.com

対立は単純なように見えるが果して本当にそうか。キャッチコピーにあるような正義と正義の対立、友情が友情を引き裂くの通りの物語だろうか。

物語の冒頭キャップ、ファルコン(アンソニー・マッキー)、ナターシャ(スカーレット・ヨハンソン)、ワンダ(エリザベス・オルセン)は何かの事件を追っていた。だがそれはブラフで敵の本当の目的は生物兵器の強奪であるといち早く気づき作戦を変更して事態の解決に向う。一度は生物兵器を奪われるも市街地に逃げ込んだ犯人から彼らは何とか奪い返すことに成功する。何十万か何百万人を殺害することが可能な生物兵器はばら撒かれずにすんだ。しかし、かつてヒドラの戦闘員だった敵のボス、ラムロウ(フランク・グリロ)が最後に自爆をしてしまう。ワンダがその爆発を止めようとするも、制御しきれずに近くのビルに爆発の被害がおよび多数の死傷者が出てしまう。キャップはラムロウが自爆の前にかつての親友バッキーの名を口にしたことで対応が遅れてしまったと悔いている様子だった。『ズートピア』でもそうだったが(警官になるのは無理だと言われているウサギが警官になる)、物語の冒頭でかつてのよくある物語を再生しそれを後に批判的に扱うというスタイルをこの映画もとっている。この冒頭だけでも肉付けしていけばキャプテン・アメリカの映画として成り立ったはずだ。誰よりも先に敵を察知し大きな被害が出る前に敵を倒す。しかし物語はその先へ行く。その被害を抑えるための行為の被害が甚大にみえるということでアベンジャーズのチームは対立してしまう。生物兵器がばら撒かれるのを防いだにも関わらずだ。

トニーは過去にアベンジャーズが起こした被害について反省し、力を抑制し人々の納得を得るために国連の管理下に組織が置かれることに同意する。トニーは前回の『エイジ・オブ・ウルトロン』のソコヴィアで息子を亡くした母親に直接糾弾されていた。誰がアベンジャーズにアベンジ(制裁を加える)してくれるの?と。トニーはそういった被害者への共感もあって国連の管理下に入ることをすすめる。それに対してキャップは同意しない。自分たちの行動は自分たちで決めるべきだと主張する。

これは正義と正義の対立では全くない。なぜならトニーの主張は正義を行使しないというものだからだ。それについては今作で初登場したピーター・パーカー/スパイダーマン(トム・ホランド)が簡潔に述べている。ピーターの部屋でトニーは彼になぜこんなことをしているんだ?と尋ねる。ピーターは「もし自分に力があって助けることができるのに何もしないでその人が不幸になったら、きっと僕のせいだ」と答える。「もし自分に力があって助けることができるのに」というのは判断に関わることだ。要するに何かについて状況を見て「自分にはこういうことができる」という判断だ。常人と車を軽々持ち上げられる人の判断が異なるのは自明だ。国連の管理下におかれるということは自分のタイミングで何かができると思った時にそれをさせてもらえないことだ。「もし自分に力があって助けることができるのに何もしないでその人が不幸になったら、きっと僕のせいだ」もしも国連の許可で出動が遅れる場合には、このことについていつまでも後悔しなければならないだろう。

トニーはそのことに目を背けているために、自分の出自へと回帰しているように見える。兵器産業の経営者だった頃に。国連の管理下におかれるということは判断を他人に委ねることだ。それは前回の『エイジ・オブ・ウルトロン』でも同じで判断を人工知能に委ねるというものだった。しかしそのように超人がその主体的な判断を奪われればあとに残るのは純粋な力、兵器としての力のみではないか。そこでは敵も味方も関係なく力だけで超人が測られる世界ではないか。核兵器が何メガトンのパワーだとかそういった風に。車の下敷きになって助けを呼んでいる人がいたとして、普通の人なら自分の力だけではどうにもならないので誰か他の人に助けを呼びに行くだろう。しかし超人ならば自分でなんとかできると判断するだろう。その時にも彼は人工知能とか国連とかいったような他の誰かの判断を気にしなければならないのだろうか。もしそのことに同意するならば力を使えるものとしてあまりにも無責任だろう。空港でチームキャップ対チームアイアンマンが対決した際、アントマンがミクロ化してアイアンマンのスーツの内部に侵入し中から機械を破壊する。アイアンマンは内部の異変に気づき「誰だ?」と聞くとアントマンは「君の良心さ、最近話してなかっただろ」と答える。これがギャグとして成り立つのはトニーが超人としての判断をないがしろにし、アベンジャーズを兵器としてみていることの証左に他ならない。良心は判断である。

トニーについて他にも気になる点はある。ジモによってバッキーが再び洗脳状態になって暴れだした時、彼はアイアンマンのグローブしか身に着けていなかった。スーツを準備していた様子もなく、暴走状態のバッキーと対決し命まではとられずにすんだがひどくやられてしまう。なぜ彼は自衛のものだけで特別な準備をしていないのだろう。不測の事態に備えていないのだろうか。彼はスーツを脱げば体力的にはただの人同然だが、普通の人間の方に戻りたいのではないかとさえ思ってしまう。力を持っているにもかかわらず。

トニーの正義に見えるものはなんだろうか。それは政治的にはマイケル・サンデルが言うところのカント、ロールズ的なリベラリズムに属するものだろう。その考え方では正は善に優先する。善つまり何が善いか何が目的かということに対して正つまり権利を平等に与えようとする。何が善いか何が目的かということが決まっていれば、そこから排除されるものが必ず出てくるし、それに適応しないといけないとしたら自由ではない。だから、皆に権利を与えて個々人が自由に目的、善、関心をもってふるまってもらおうというのだ。しかし、この価値観では何が善いかは(自分が批判した目的論的思考に陥ってしまうので)決定することができず、正しさの指標として手続きを重んじることになる。この映画で言えば国連から承認を得るという手続きを得られればよいということになるだろうか。何度も書くがそれでは何が善いかについてこたえることができない。

所得、権力、機会などの分配の仕方を、それ一つで正当化できるような原理あるいは手続きを、つい探したくなるものだ。そのような原理を発見できれば、善き生をめぐる議論で生じる混乱や争いを避けられるだろう。(p407)

だが、そうした議論を避けるのは不可能だ。正義にはどうしても判断が関わってくる。議論の対象が金融救済策やパープルハート勲章であれ、代理母や同性婚であれ、アファーマティブ・アクションや兵役であれ、CEOの報酬やゴルフカートの使用権であれ、正義の問題は、名誉や美徳、誇りや承認について対立するさまざまな概念と密接に関係している。正義は、ものごとを分配する正しい方法にかかわるだけではない。ものごとを評価する正しい方法にもかかわるのだ。(p407,408)
これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)』マイケル・サンデル

判断なしの正義はありえない、それは不正義である。そして超人は判断を重視されヴィランではなくヒーローになる。ただ力のみが重要なわけではないのだ。力だけを重視されては、共に力を持っているヒーローもヴィランも変わりがないことになってしまう。

政治の目的が善き生なのだから、最高の地位と名誉は、ペリクレスのような人に与えられるべきである。彼は最高の市民道徳を持ち、共通善を見きわめるのに最も秀でていた。財産を持つ人にも発言権を与えるべきだ。多数派の意見も無視はできない。だが、最も大きな影響力を持つべきなのは、人格と判断力の両面において、スパルタとの戦いの是非と時期と方法を決める資質を備えた人物である。(p307)

道徳的行動とは、規範や規則に従って行動することだと一般には考えられている。しかし、アリストテレスに言わせれば、その考え方からは、美徳の持つ明らかな特徴が抜け落ちている。たとえ適切な規則があったとしても、それをいつどうやって適用するかがわからないこともある。道徳教育は、状況に応じてこの規則よりあの規則が必要だと判断できるようにすることだ。「行為にかかわる事柄と、われわれにとって何が善かという問題は絶えず変化する。その点では健康状態と同じだ……。行為者自身が、個々の場合に応じて、その場に何がふさわしいか考えなければならない。医術や航海術の場合と同じである」(p313)
公共哲学 政治における道徳を考える (ちくま学芸文庫)』マイケル・サンデル

この映画の難しいところは(観てるだけならキャップとバッキーの共闘かっけえという風に全く何の問題もないのだが)最後の『セブン』的なロシアのシーンである。ジモが過去のウィンター・ソルジャーを復活させようとしているかもしれないとの情報を得て、キャップとバッキーはジモを追ってロシアの研究所へ向う。そこにアイアンマンも合流しバッキーを敵だと思っていたのは誤解だったといって和解し共通の敵ジモを倒しに地下へと降りていく。地下で彼らは頭を撃ち抜かれたウィンター・ソルジャーを発見し、ジモは彼らを閉じこめる。ジモは過去のビデオを再生するように彼らに言う。再生された画面には、バッキーがトニーの両親を殺害していた映像が映し出されていた。トニーは両親は偶然に事故で死んだものと思い、事故の直前に両親とまともな会話をしていなかったことを後悔していた。その事故直前の会話の光景をヴァーチャルリアリティで再現する装置(海馬に直接アクセスする装置でした)を発明するほどに忘れられない思い出であることは映画のはじめの方で描かれている。トニーはキャップに「このことを知っていたのか」と問いキャップは「知っていた」という。バッキーはトニーの両親を殺害したとはいえ、この時は完全に機械のように洗脳されていて全く自分の意志での行動ではない。しかし、トニーは怒りや悲しみが入り混じったように目を潤ませてバッキーを殺そうとする。それにキャップが対抗し、再びアイアンマン対キャップとバッキーという構図で戦いが起こる。

この戦いは最後のブラックパンサー(チャドウィック・ボーズマン)がジモをゆるすところを見るとトニーの身勝手さが際立っているように見えるかもしれない。ブラックパンサーはジモに爆破テロで父親を殺されていたが、ジモもソコヴィアの戦闘での被害者で家族全員を失ったことを知り、自殺しようとする彼をすんでのところで防いで生きて償うようにいう。完全にではないにしても彼はなぜ許すことができたのか。それでも許せない場合はあるだろうが、それは彼が後悔しているからだ。

このような自然の戒律には、自分に悪をはたらいた人であっても、かれが後悔し、将来悪に走らないという保証があるならば許し容赦する、ということもふくまれております。許しとは、(かつて戦争を挑発しながら)許しを求めている人にたいして与えられる平和であるからです。したがいまして、後悔もせず将来における平和の維持のための保障もしないような人に平和を与えるのは仁慈ではなく恐怖であります。といいますのは、後悔もしない人は、〔平和への〕保障を与えることを拒否する人と同じように、なおも敵意を持ち続けており、したがいまして、かれは平和ではなく利益を求めていると想定されるからであります。

法の原理――人間の本性と政治体 (岩波文庫)』ホッブズ

それに対してバッキーはどうだろうか。彼はトニーの両親を殺害当時洗脳されていて、全く意志的にやったのではない行動について何か後悔というものをしようがないように見える。そして以前に再び洗脳されて暴走したように、反省とは後悔といった主体的な事柄とは関係なく動くものについて何らかの防止手段をとることは全く正しい。なので、トニーは全く私怨によってバッキーを攻撃したように見えるかもしれないが、彼なりの予測や判断(ヒーローとしての判断)に基づいたものだったようにも見える。トニーは本気で殺しにかかるつもりでバッキーと対峙するが、以前に一度油断してやられたことに加えてキャップも相手側についているのだからそうやって本気で戦うのは仕方がない。そうでもしないと止められないと思っているからだ。結果的にトニーは負けてしまうが、復讐は果たしたように思う。バッキーは戦闘中に左腕を失い、その後自らの意志で洗脳が完全に解ける方法が見つかるまでは冷凍睡眠のカプセルの中で待つことを選んだ。ここでいう復讐とは相手の考えを変えさせることだ。

復讐心とは、わたくしたちに危害を加える人に、その行為はかれ自身にとって有害であることを気づかせ、認めさせることを期待・予想もしくは想像することから生まれる情念であり、それは復讐心が、最高度に達したことを意味します。なぜなら、悪には悪をもって報いることによって、かれがしていることは不快であると相手に感じさせることは困難ではありませんが、かれにそれを認めさせることは極めて困難であり、多くの人はそれを認めるよりもむしろ死を選ぶでありましょう。復讐のねらいは、敵を殺すことではなく、彼を捕獲し服従させることにあるのです。獄中で自殺した人物について、つまり復讐を科することのできなかった人物について、ティベリウス・カエサルが、かれはわたしから逃れてしまったのか、と叫んだ言葉によく表れております。憎悪の相手こそ殺戮の目標でありまして、それもこちらが恐怖から逃れたいばかりに企てることであります。が、復讐の目的は勝利にこそあり、相手が死んでしまえば、なんの意味もないことになるのであります。(p86,87)

法の原理――人間の本性と政治体 (岩波文庫)』ホッブズ

実質キャプテン・アメリカ3なのにトニーについてばかり書いてしまった。キャップは全く正しい。

9/10/2020
更新

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